スタッフ紹介
代表 行政書士 武村 欽也
小学校から高校まで地元の北九州市小倉南区でした。
高校卒業後は、あこがれの「東京でひとり暮らし」をしたくて
日本大学法学部に進学しました。
大学時代は心を鍛えるうえで「マンドリンクラブ」に入部しました。
4年生では「第23期主将」をつとめました。
大学卒業後は地元に帰り、初めての就職先はタクシー会社でした。
今ではタクシー業界では最大規模の企業になっています。
まだ若かったせいか、その業界で必要なスキル等は身につけておらず、
何度も小さな「挫折」を繰り返していました。
明らかに「自己研鑽」の不足でした。
オーナー社長(現:会長)には商売の基礎を教えていただきました。
今でも感謝しております。
その後、自分のそれまで培った営業力を試したくて
鉄鋼大手企業が企画する「テーマパーク」運営会社の入社試験を
突破し入社しました。
そこでは主に「集客担当」でした。
遠方から修学旅行などやメディアや大手旅行代理店、
またJRとタイアップした旅行商品などを造成し集客に努めました。
また広島支店長として3年ほど単身赴任も経験しました。
この会社に定年まで勤める気持ちが大きかったのですが、
バブル崩壊後の多額の投資に見合うお客さまが年々減少し、
結果、「民事再生法適用申請」に踏み切り、
鉄鋼大手企業であった親会社から別の企業に営業譲渡されました。
当時は広島支店長でしたが、本社営業本部長に異動になり、
早期黒字化にするために朝早くから夜遅くまで休みもなく、
必死に頑張りました。
多くの同僚や先輩、部下も会社都合の退職になりました。
どうにか目途がたったところで会社都合で退職しました。
当時、早期退職制度でわたし以外の社員は全員が転職先をみつけ退職しました。
わたしは「仕える事」の仕事から「志す事」の志事をしたいと考え、
この行政書士になるべく専業受験生になりました。
当時49歳の決断でした。
元々、50歳になったら独立したい夢がありました。
実は「和菓子職人」になりたかったのです。
いろいろな食紅などを使い、鮮やかな色を醸し出したり、
四季折々を感じさせる美しさを表現できる和菓子職人への
あこがれもあり独立したいと思っておりました。
でも、法律家の「行政書士」になる気持ちの方が強く、
結果専業受験生になりました。
50歳近くになると記憶力や集中力、持続力も衰えはじめ、
覚えて寝たら忘れるの繰り返しでした。
行政書士合格まで3年かかりました。
長い人生のうちのたったの3年です。
「努力は必ず実る!!」をこの年齢になって実感しました。
やればできるんです。
よく同業者のサイトを見ると、「損はさせません」、
「儲かる会社にするために応援します」などの
キャッチコピーを見かけます。
では具体的にどういうようなことをしているんでしょうか?
キャッチコピーはとても重要なんです。
福岡建設業許可サポートセンターでは、関与したお客さまには、
マッチングサービス(元請さんへのご紹介や許可業種の違うお客さまとのコラボなど)、
また公共工事を希望されるお客さまには、
お客さまの会社案内やお客さまの名刺を持ち
公共施設の発注窓口へのセールスのサービスなどをしています。
それで受注増加になれば嬉しいです。
業種は違いますが、長年の営業経験を活かし、お客さまに少しでもお役に立てるように
しております。
許可を取得するだけの建設業許可専門の行政書士事務所ではありません。
実績
たいていの行政書士事務所が建設業許可申請の取扱い件数の平均が年5件ほどです。
福岡建設業許可サポートセンターでは年間40件超の取扱い件数です。
福岡県内でも申請数はトップクラスです。
他事務所と比較していただければ一目瞭然、あらゆる業種の建設業許可申請を取り扱っています。
好きな言葉
焦らず、慌てず、最後まで諦めず!!です。
経営理念
1.何事に対してもいつも一生懸命!!
2.お客さまの利益を最大限に!!
尊敬する人物
わたしの父です。平成12年3月のホワイトデーに亡くなりました。
他には「松下幸之助」です。
所属団体
・日本行政書士連合会 福岡県行政書士会 北九州東支部
・日本FP協会福岡支部幹事
・国際ロータリー2700地区小倉東ロータリークラブ
・一般社団法人北九州中小企業経営者協会
どうぞよろしくお願いします。